プロ野球の人気球団の読売ジャイアンツ。ジャイアンツの中で、常に課題と言われているのがセカンドのポジション。
不動のレギュラーはずっとおらず、毎試合出場選手が変わっています。
そんな中で、若林晃弘選手がオープン戦で結果を出し開幕スタメンが濃厚になっています。
若林選手の父親や家族に関して気になりましたので、色々と調べてみました。
- 父親は元プロ野球選手
- 家族とのエピソード
目次
巨人|若林晃弘の父親は元プロ野球選手?
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若林晃弘選手の父親は元横浜大洋ホエールズの若林憲一選手です。年齢は67歳です。

若林晃弘の父親の現役時代
山梨県の甲府商業高校から1971年ドラフト6位で大洋ホエールズに入団します。

現在の若林選手よりもふっくらしていますが、目元や鼻が似ています。
入団当初は内野手として活躍しますが、俊足を買われて外野手にコンバートします。
プロ野球での実績はこちら!
試合数 | 打数 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 | |
通算 | 163 | 51 | 10 | .196 | 1 | 2 |
入団から約10年間、守備固めやサポート役に徹したことも評価され、1981年には現役選手兼任2軍コーチとして球団から熱い信頼を獲得しています。
引退後は野球塾を経営!
コーチ引退後は、富士国際ビジネス専門学校で講師を勤めながら、野球塾を経営します。
1999年には中野区で野球教室(塾)を開講し、2008年に杉並区移転し野球教室の開設者として活動されていました。
野球教室の名前は『スーパースラッガー野球塾』という名前で、元プロ野球選手としての経験、今まで2,500人以上を指導してきた実績、息子(若林選手)をプロ野球選手に導いた指導の経験を生かしています。

2020年5月に閉校しましたが、現在は自宅からオンラインで無料指導を行っているようです。
主に『投げる』『打つ』『捕る』動作の技術指導、どこが悪く、どう直して行けば良いのか?その為に必要な練習方法などを経験から導いてくれる野球塾です。
特に『捕る』動作には力を入れて指導しています。
ポイントは「怖がらない」ことだ。最後の練習メニューは「捕る」。園児たちがコーチと向かい合い、3メートルほど離れた位置へ横一列に並んだ。打撃練習の際にはグラブをはめてスポンジボールを追ったが、今回は手ぶら。コーチから下手投げされたスポンジボールを素手でつかみにいった。
若林氏 グラブが目の前に来るとボールが視界から消えてしまい、反射的に怖がってしまいます。素手にすることで視界が広がる。しっかりボールが見えることで、ちゅうちょなくつかみにいける癖がつきます。
「ボールを最後まで見る」というのは、野球のレベルが上がっても基本的なスキルとされる。「5人全員が1発でキャッチできたらクリア」とゲーム性を持たせることで、園児たちも楽しさにつながるプレッシャーを感じながら、和気あいあいと捕球の練習を行った。単純な練習に見えても、ひと工夫が加わっただけで、一段と内容が濃くなった。
多くのファンを魅了するプレーに目を輝かせるのは当然だ。時にプロのプレーは「軽い」、「プロだからできるんだ」と表されることもある。だが、若林氏は「イメージをふくらませることも大切。『ああやってできたらかっこいいな』と思うプレーを知らないとまねもできない」と持論を示した。
プロ野球選手は最高の教科書-。「基本は大事。でもずっとそれだけでもダメ。大きくなるにつれて、少しレベルの高いことも学んでいかないといけない」と自身の能力よりやや上を目指し続けることが成長への近道だと強調した。
引用:日刊スポーツ
野球をやらせたい親御さんが何から教えて行けば良いかわからない時に、基礎から学べる環境はとても良いですね。基礎を理解したら、レベルの高い環境に入れてあげることが大切だと話しています。
また憲一さんは一番大切なことは『褒めてあげる』『コミュニケーション』と言っており、毎回心掛けているそうです。
若林氏はお父さん、お母さんたちと元気よく家路につく園児たちをほほえみながら見送った。「1つできれば自信がついて、どんどんうまくなっていく。だから他の子と比較する必要はない。『うまいね!』『上手だね!』『すごいじゃん!』とほめてあげることが大事」。
現役を引退された方でも、今までの経験を惜しげもなく伝え、子供たちに向き合う姿は今後野球界を大きくレベルアップさせてくれる気がしますね。
巨人|若林晃弘の家族とのエピソードは?
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若林選手は家族と仲が良いそうで、実際に家族とのエピソードをまとめていました。
父親が素質を見抜いたエピソード
父の日のプレゼントにフレッドペリーの水色のポロシャツをプレゼントし、今ではすっかりお気に入りで、ゴルフの練習に行く時などに着ているようです。
「僕はブランドとか分からないんだけど、いい物をもらってうれしいね」
引用:日刊スポーツ
幼い頃から憲一さんとよくキャッチボールをしており、素質を感じていたそうです。
- 松井秀喜選手の打ち方のモノマネが似ている
- 少年野球時代にランダンプレーをすぐにマスター
- 両打ちの練習を行い、試合で結果を出す
- 練習前日にはグラブやスパイクを磨き、忘れ物をしたことがない
元プロ野球選手のお父さんも認める素質と親孝行をしているエピソード感動しますね。
若林選手の母親とのエピソード、写真、年齢
小学校1年生の頃に母親と一緒に野球の練習をしていました。
3歳からおもちゃのバットで遊んだり、小学1年生の時は公園で私が投げたフライを捕るのが上手でしたね。3月にケガをしてしまったので「体には気をつけて頑張ってね」と伝えたいです。
引用:日刊スポーツ
若林選手の母親は智子さんという方で、現在62歳です。

若林選手に似ていますね。
憲一さんがプロ野球引退した後に結婚をしたそうで、智子さんはプロ野球選手になった家族を見るのは若林選手が初めてだそうです。
巨人ドラフト6位若林の母智子さん(59) 息子の野球姿をいつも楽しく見させてもらっています。突然の1軍昇格だったので、当日(11日)はなかなかチケットがとれず、東京ドームの立ち見席で見ていました。主人(元大洋の憲一さん)と結婚した時はもう引退していたので、晃弘を見ていてプロ野球選手になることがこんなに大変なのかと感じました。
引用:日刊スポーツ

小学校時代から野球の練習を一緒にして、プロ野球選手になって1軍でプレーをしている姿は何よりも親孝行ですね。
他にも母親の料理についても話をしていました。
「母の料理はいつも品数が多くて、これといった特別なものは選べないですが、全てが美味しかったです。母には健康に気遣って長生きしてほしいです。いつもありがとう」とコメントした。
引用:スポーツ報知
怪我無く、健康にプロでプレーできているのは智子さんの品数の多い健康な食事が要因だったんですね!
今年は巨人のセカンドのレギュラーになって更に親孝行をしてほしいと思います。
巨人|若林晃弘のプロフィールは?
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若林晃弘選手のプロフィールはこちら!
- 名前:若林 晃弘 (わかばやし あきひろ)
- 生年月日:1993年8月26日
- 出身地:東京都中野区
- 身長:180cm
- 体重:77kg
- 小学校:中野区立桃園第三小学校(世田谷タイガース)
- 中学校:中野区立第九中学校(目黒西シニア)
- 高校:桐蔭学園高等学校
- 大学:法政大学
- 社会人:JX-ENEOS
- 投打:右投げ両打ち
- ポジション:内野手 外野手
幼稚園の頃から父親とキャッチボールをしていて野球の魅力にハマっていきます。
小学校は中野区立桃園第三小学校(世田谷タイガース)、中学校は中野区立第九中学校(目黒西シニア) に所属します。
中野区立第九中学校は現在統合になり2012年に廃校となり、中野区立中野中学校になっています。
目黒西シニアの卒業生は元オリックスで活躍しました平野恵一選手らがいます。
高校は神奈川県の強豪桐蔭学園高校に進学し、入学当初からベンチ入りをし1年夏には投手、1年秋には外野手、2年秋には遊撃手として試合に出ています。
同期は現在楽天イーグルスで活躍する茂木栄五郎選手がいます。
大学は東京六大学の法政大学に進学し1年春からベンチ入りし、3年春にはセカンドのレギュラーを掴みます。

1学年上の先輩に横浜ベイスターズの石田健太選手もいます。
社会人は実業団の中でも強豪のJX-ENEOSに就職し、9番セカンドととしてレギュラーをつかみます。
JX-ENEOS 若林晃弘選手(2016/05/07 仙台市民) pic.twitter.com/Q5yb6v0XcD
— richamera (@richamera) May 7, 2016
同期にはヤクルトの塩見選手や横浜の齋藤投手などがいます。
学生の頃から野球エリートチームで常に試合に出場してきた若林選手。今年は巨人のセカンドとして大ブレークの予感です。
【まとめ】巨人|若林晃弘の父親は元プロ野球選手?家族とのエピソードは?
巨人の期待の若手若林選手の父親について色々と調べてみました。
元プロ野球選手で現在も無料でオンライン野球塾を開いて、野球界に貢献している姿はすばらしいです。
若林選手は家族とも仲が良く、1軍でプレーすることが最大の親孝行になると思いますので、今後の活躍に期待していきたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。






