自民党参議院議員の丸川珠代さん。東京五輪・パラリンピック担当大臣に任命されました。
実は、若い時代はアナウンサーだったということを知らない人もいるのではないでしょうか?
この記事では、丸川珠代さんのアナウンサー時代の可愛い画像をご紹介します。
そして、アナウンサー時代の評判や出演番組も見ていきましょう。
目次
画像|丸川珠代のアナウンサー時代が可愛い!
丸川珠代さんのは1993年4月にテレビ朝日に入社して、14年間アナウンサーとして活躍しました。年齢は22歳から36歳まででした。
真顔だと美しいという感じで、少し笑うと愛嬌があって可愛らしい顔をしています。
現在と比べると昔のアナウンサー時代の方が柔らかいイメージでしょうか?
東京大学出身の知的さ、清楚な女性らしさを兼ね揃えていて、ニュース番組だけではなくバラエティ番組『わらいの時間』や『ロンドンハーツ』などにも出演していました。
丸川珠代さんが出演していた番組を詳しくみていきましょう。
丸川珠代のアナウンサー時代の出演番組
丸川珠代さんはアナウンサー時代は、報道でもバラエティでも活躍できる硬軟なアナウンサーと言われていました。
丸川珠代さんのアナウンサー時代の主な有名な出演作品はこちらです。
- たけしのTVタックル
- CNNヘッドライン
- 朝まで生テレビ
- スーパーJチャンネル
- サンデースクランブル
- トップに迫る
- わらいの時間
- ロンドンハーツ
丸川珠代さんは報道系もバラエティでもどちらでも起用される機転の回るアナウンサーでした。
特にたけしのTVタックルでは、『新・日本の景気を考える』と言うコーナーの進行を担当していて、ビートたけしさんとのやりとりがとても人気がありました。
10年以上前の番組ですが、今だに記憶に残っている方も多いのではないでしょうか?
丸川珠代さんは真面目な顔で面白いことや毒舌を吐くと言う他のアナウンサーにはない確立したキャラクターを持っていました。
丸川珠代のアナウンサー時代の評判
丸川珠代さんのアナウンサー時代の評判は、良い時期もあれば事件をきっかけに悪化することもありました。
事件を見ていくと結構お騒がせだったのかなという印象もあります。
丸川珠代さんの14年間のアナウンサー時代の評判を時系列にまとめました。
①ど根性意識
丸川珠代さんはアナウンサー時代、体を張ってプロ意識を見せるという『たこ焼き火傷事件』というものがありました。
丸川珠代さんは生放送でたこ焼きの食レポがありました。
そのたこ焼きが予想以上に熱かったのに、生放送なので出すわけにもいかず、そのまま飲み込んでしまいました。
その結果、口内・食道・消化器官まで大火傷で、13日間も入院するという事件になってしまいました。
それほど、丸川珠代さんのプロ根性の強さが伺えますが、体を張りすぎてしまっています。
しかし、こういった丸川珠代さんのアナウンサーとしての姿勢が報道番組などに抜擢される評価につながったのでは…?と言う意見もありました。
②おもしろい、ユーモアセンスがある
ビートたけしのTVタックルの『新・日本の景気を考える』では全く笑わないポーカーフェイスで面白い発言をする丸川珠代アナウンサーのファンがとても多くいました。
TVタックルでたけしのブッコミに絶対笑ってはいけない進行役アナみたいなコーナーやってたの好きだったなぁ。あれは面白かった : 丸川珠代「トップ当確」でも官僚に嫌われる女王様気質(デイリー新潮) – Yahoo!ニュース https://t.co/QGWwVOJBeX
— Rocjoh (@Rocjoh) July 13, 2019
TVタックルは、「(新)日本の景気を考える」のコーナーが結構好きだった。たけしと丸川珠代のやりとりとか
— 春山春斗 (@halt_haru) November 26, 2012
おそらく台本を読んでるだけではなく、丸川珠代さんのアドリブも多かったはず。
番組の忘年会では、ビートたけしさんに「ねえちゃん、芸人になんないかい?」と勧められたほどなんだそうです。
丸川珠代さんの家族は大のお笑い好きだそうで、ユーモアセンスも鍛えていたのかもしれません。
東大卒という高学歴なのに、真面目だけではなく面白いと言うギャップがアナウンサー時代人気だった理由の一つでもありました。
③不倫騒動でイメージ悪化
丸川珠代さんは、入社5年目に同じ曲のテレ朝のプロデューサーと不倫関係にあったことが報じられました。
結局丸川珠代さんの不倫相手は離婚。そして同時に丸川珠代さんとの関係も終わりました。
不倫相手のプロデューサーは妻と離婚。ところが、丸川との関係も破局したため、再婚には至らなかった。
引用:アサ芸プラス
不倫関係にあった丸川珠代さんのイメージ悪化になってしまいました。
この後、丸川珠代さんはアナウンサーとしては異例のニューヨーク支局へと異動となりました。
④丸川事件で評判ガタ落ち
丸川珠代さんは『丸川事件』と呼ばれるものでアナウンサー時代を締め括っています。
2004年12月に各局の女子アナで選抜された地上デジタル放送推進大使に任命された丸川珠代アナウンサー。
しかし、実はこの時に出馬をしていて、すでに撮影が終わっていたCMが放送できなくなるという緊急事態になりました。
特に地方のアナウンサーは全国のCMに出れる絶好の機会を丸川珠代さんに潰されてしまって、恨みは大きかったそうです。
丸川珠代さんのアナウンサー時代は、順調に進んでいたと思いきや数々の事件もありました。
以上が、今の議員の姿とは違うアナウンサー時代の丸山珠代さんでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました!