東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長に就任した橋本聖子さん。
組織員の役員報酬は最高で月額200万円とも言われていますが、無報酬で会長職を引き受けました。
橋本聖子さんは父親が残した多額の借金があるので、その負担を心配する声が多く上がっています。
橋本聖子さんの父親はどんな人だったのでしょうか?
そこで父親の職業や、借金の理由・金額について調査しました!
目次
橋本聖子の父親はどんな人?

- 名前:橋本善吉
- 生年月日:1924年
- 年齢:76歳(逝去)
- 出身地:北海道
- 職業:牧場経営・馬主
橋本聖子さんの父親は、橋本聖子さんが幼少期の頃からとても厳格な人だったそうです。
そのため家族内でも子供は父親に対して敬語を使っていました。父親から叱られると泣くことは一切許されなかったそうです。
子供に厳しくしつけをしていたのは、父親が幼少期とても厳しい状況で生活してきたからでした。
父も母も農家に生まれ、北の大地でどう生き抜くかという厳しい時代に育ちました。二人とも、涙が出ないほどの悲しみや辛さを知っていたのだと思います。
引用:北海道神宮 コラム
子供の頃は食べたいものも食べれないという厳しい幼少期を過ごしてきていました。
橋本聖子さんの父親は、2020年に亡くなっています。
橋本聖子の父親は牧場経営をしていた

橋本聖子さんの父親の職業は、北海道苫小牧近郊の早来町という場所で『橋本牧場』の経営をしていました。
橋本聖子さんの父親は幼少期に10年馬の牧場で働いた経験を生かして、自身で牧場を経営していました。
北海道では有名な名士で『牛のハシモト』と呼ばれた牛の仲介商でした。
橋本聖子さん含む4人の兄弟は、小さい頃から牧場の動物の世話をすることや、馬術を身に着けることが当たり前の生活だったようです。
橋本聖子の父親はマルゼンスキーの馬主
橋本聖子さんの父親はマルゼンスキーというとても有名な競場の馬主もしていました。

牧場経営をしながら、マルゼンストロークホースというまんえん競馬の馬主をしていた橋本聖子さんの父親は、競走馬の生産をしたいとずっと思っていました。
1973年にアメリカで競走馬の競りが行われて、そこでマルゼンスキーに運命的な出会いをします。
その競りで30万ドル(約9000万円)で落札しましたが、手数料や輸送費なども含めると1億2000万円にまでなっていました。
マルゼンスキーは好成績を治めて、無敗(8戦8勝)という結果で引退。
橋本聖子さんの父親の目に狂いはなく、大舞台で大活躍する競走馬を育て上げました。
マルゼンスキーにはファンが多く、今でも歴史に残る競走馬ですね!
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の後任会長に橋本聖子が組織委からの就任要請を受諾した‼️
森の後継者か!と思った競馬民🐴
橋本さんの父親はあのマルゼンスキーを生産した人だ😊
なら良し👌— 馬PaPa (@pakapaka7728) February 18, 2021
橋本聖子の父親の借金金額と借金の理由は?

橋本聖子さんの父親は経営者で馬主としてのかなりのビジネスマンでしたが、借金額はとても膨れ上がっていました。
借金金額と借金の理由について見ていきましょう。
借金金額
2021年2月18日の日刊ゲンダイによると借金額は2006年に20億円以上!
橋本聖子さんの父親の借金をまとめるとこちらになります。
- 千歳信用組合から16億円(返済が滞る→信組は破綻)
- 知人から2000万円を借りる(一部返済せず訴訟沙汰)
- 2006年に借金額が20億円以上
会社経営や馬主などを続けていく中で、このような多額の借金をしていたようですね。
バブル期に競走馬を生産する牧場経営を拡大。「千歳信用組合」から16億円もの融資を受けたが、返済は滞り、そのあおりで信組は99年に破綻してしまった。 その後も橋本氏の選挙資金と称して知人から2000万円余りを借り、一部を返済せず訴訟沙汰になったこともある。2006年にこの件を取り上げた週刊文春は併せて「父に借金が20億円以上ある」と報じていた。
引用:日刊ゲンダイ
橋本聖子さんの父親がここまで多額の借金をした理由はなんだったのでしょうか?
借金理由
橋本聖子さんの父親が借金した理由をまとめるとこちらです。
- 16億円:牧場経営の拡大と競走馬の購入(12億円以上)
- 2000万円余り:橋本聖子さんの選挙資金
- その他3億円ほど:不明
マルゼンスキーは無敗で活躍した馬でしたが、借金の16億円を回収できるほどの利益はあげられてなかったのかもしれません。
知人から借りていた2000万円余りの返済は、父親が直接200万円を持参、500万円は橋本聖子事務所が返済。
残りの借金については一時訴訟沙汰になりましたが、現在は解消しています。
父親が2020年に亡くなっているので、当然子供にその借金が回ってくることになりますよね。
橋本聖子さんは子供が6人いて、そのうち3人はまだ学生なので負担がかなり大きくて心配になります。
無報酬は スジを通したと言えます ただ 20億円とも言われる父親が遺した負債問題が解決していません お金の負担は 親族も友人も 潮が引くように離れていきます 公私ともに イバラの道が続くようです #橋本聖子 https://t.co/8LLAUjqHUv
— AKII2012 (@Akisan1018) February 20, 2021
橋本聖子がオリンピック選手になったきっかけは父親

橋本聖子さんがオリンピック選手になったきっかけは父親でした。
橋本聖子さんが生まれた1964年に東京オリンピックが開催されて、その開会式を見に行った父が聖火に感動して『聖子』と名付けました。
そして、幼少期から「オリンピック選手になるんだぞ」と言われて育ちました。親の影響力は絶大ですね。
「オリンピック選手になるんだぞ、そのために名前をつけたんだからな」
物心つく前からそう父から言われ続けた私は、オリンピックが何かの職業だと思っていた。
「オリンピックになる」幼い頃の私は、そう人に言っていました。引用:MAG2NEWS
そして父の夢と自身の夢を叶えて7回もオリンピックに出た橋本聖子さん。
選手時代はいつも父親が師匠のような存在だったようです。
橋本聖子さんが現在政界や新しい任務に挑戦する行動の原点には、いつも父親の存在があるかもしれませんね!






