東京五輪・パラリンピックの組織委員会会長候補に橋本聖子さんが選ばれました。
実は橋本聖子さんは若い頃はオリンピックのメダリストとして活躍していた人なんです!
そんな重要な役職の橋本聖子さんの若い頃についての
- 経歴
- 成績
- スケート選手、自転車競技選手時代の画像
この辺りについて調査してまとめました。
橋本聖子さんはどのような経歴を持ち、成績を残してきたのでしょうか?詳しく見ていきましょう。
目次
【画像】橋本聖子の若い頃の経歴
橋本聖子さんは若い頃スピードスケートと自転車競技のそれぞれでオリンピック選手に選ばれるというすごい経歴を持っています。
夏冬両方のオリンピック選手となった人は日本人史上初!
橋本聖子さんがどのような経歴なのか詳しく見ていきましょう。
スピードスケート選手の経歴
1964年10月5日に生まれます。生まれた年が東京オリンピック開催年でしたので、名前はオリンピックの聖火にちなんで『聖子』とつけられました。
橋本聖子さんの若い頃のスピードスケートの経歴はこちらです!
- 3歳 スピードスケートを始める
- 中学3年生 全日本選手権で優勝
- 高校時代 全日本スプリントで優勝
- 18歳 富士急行株式会社に入社 スピードスケートを続ける
- 20歳 オリンピックに出場
- 28歳 アルベールビルオリンピック女子1500mで銅メダル獲得
橋本聖子さんが3歳という若い年齢でスピードスケートを始めたきっかけは父親。父親は聖子さんにオリンピック選手になって欲しいという願いも名前に込めていたようです。
その願いの通り橋本聖子さんは若い頃中学・高校とスピードスケートで大活躍の成績をおさめてきました。
若い頃からアスリートとして活躍をしてきて着々とオリンピックの道に猛進!
1984年の20歳の時に初めてオリンピックに出場し、1992年のアルベールビルオリンピックでは女子1,500mで銅メダルを獲得します。
現在より柔らかい雰囲気があるような気がしますよね。
自転車競技選手の経歴
実は、橋本聖子さんはスピードスケートと並行して自転車競技選手としての道も進んでいました!
そして1988年にソウル夏季オリンピックに自転車競技選手としても出場。
- 1988年 ソウルオリンピックに出場
- 1992年 バルセロナオリンピック 女子3000m
- 1996年 アトランタオリンピックに自転車競技者として出場(2種目)
1994年には富士急行株式会社を退職し、自民党立候補を行い見事に当選。
国会議員とスポーツ選手の二刀流になり、スピードスケート選手から自転車競技選手へと転身します。
その後現役を引退し、政界を本業として活動されます。
橋本聖子の若い頃の成績は?
橋本聖子さんのスピードスケートの成績はこちらです!
全日本選手権で優勝の常連でした。
- 中学時代:全日本選手権優勝
- 高校時代:全日本選手権、全日本スプリント優勝
- 社会人時代:全日本選手権、全日本スプリント10年連続優勝(高校時代から続く記録)
- 1984年サラエボオリンピック
(500m11位 1,000m12位 1,500m15位 3,000m19位) - 1988年カンガリーオリンピック
(500m5位 1,000m5位 1,500m6位 3,000m7位 5,000m6位) - 1992年アルベールビルオリンピック
(500m12位 1,000m5位 1,500m3位 3,000m12位 5,000m9位) - 1996年 リレハンメルオリンピック
若い頃は1981年〜1990年まで全日本選手権、全日本スプリントで優勝し、その後10年連続本大会で優勝というすごい成績を残しています。
そしてオリンピックには3度出場していて、3度目に1500mで銅メダルを獲得!
自転車競技での成績はこのようになっています。
- 1988年ソウルオリンピック 日本記録
- 1992年バルセロナオリンピック 日本記録 女子3000m 11位
- 1996年アトランタオリンピック 女子3000m12位、女子2万4000mポイントレースで9位
オリンピックで日本記録は樹立したものの、世界ではなかなか厳しい順位になりました。
自転車競技と国会議員を両立していましたが、成績があまりふるわず「どちらの世界も傷つけた」などと批判されることが多くなりアスリートの現役引退を決意しました。
橋本聖子が若い頃に2つの競技でオリンピック選手になった理由
橋本聖子さんは若い頃にスピードスケートも自転車競技という2つのオリンピック選手になり、『オリンピックの申し子』とも呼ばれました。
橋本聖子さんが2つの競技で選手になった理由は、若い頃の病気が一つの動機でした。
小学校3年生の時に急性肝炎、高校の時に慢性肝炎とB型肝炎を患っています。
その経験があるので、『困難なことに挑戦したい』という思いが強くありました。
だからこそ、1つの競技選手として終わるのではなく、日本人で誰もやったこのなかった夏冬の二つのオリンピック選手を目指すことに決めました。
その橋本聖子さんの挑戦と決意は多くの人に勇気を与えてきました!
2020年7月18日の毎日新聞の記事は、橋本聖子さんは若い頃のチャレンジを通して、「自分の知らない世界を経験することで精神面も相当鍛えられました。」と話していました。
橋本聖子のプロフィール
- 名前:橋本聖子(はしもと せいこ)
- 生年月日:1964年10月5日
- 出身地:北海道安平町
- 高校:駒沢大学苫小牧高校
- スポーツ選手時代:スピードスケート、自転車競技
- 所属政党:自由民主党
- 現職:国務大臣
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